閑 話 休 題  
  ★エルパソ秘話
 
当時「エル・パソ」には良くテレビや雑誌でみかけるお客さんも多く来てくれましたが、特に意識することなく料理を作って出していました。

ただ、後から有名な人だったんだとわかってびっくりしたことがあります。 当時、毎週のように通ってくれる年配の外国人男性と日本人女性がいました。 

席に座るや英字新聞を広げ、ワカモーレを3,4皿を苦虫をかみつぶしたような顔で注文、タコスはチレコンカルネ(チリコンカーン)、それにメキシカンピラフなど判で押したように毎回同じ料理でした。

神経質な人だけにいろいろ思い出がありますが、「エル・パソ」を閉め、代官山に移るという時は奥さんとおぼしき女性ととても残念がってくれたのがいまでも印象に残っています。

ある朝、テレビを何気なく見ていたら、あの女性が流ちょうな英語で記者の質問に答えていて、隣はあの外国人で、空港での会見だった。 アイスランドへ出国(事実上の亡命)するチェスの元世界チャンピオン ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer)さんだった。

最近、思い立って調べたら、アイスランドですでに亡くなっていた。 どこかでタコスを食べに現れる気がしていたんだけど、残念。 なぜ亡命することになったかは不明だったけど、おおた葉一郎さんのブログに詳しく書いてあった。
 ★トルティと名付ける 
 おから入りの皮が出来上がって、さて、名前をどうしようかと思っていろいろ考えてみた。 メキシコではトルティーヤ、トルティージャだし、アメリカではラップンロールというのが定着している。 

日本語でとの選択肢もあったけれど、和食にこだわらず何でもいけるという意味で、日本生まれでおからを使った皮を短くトルティ(Torty)とした。 響きがとても気に入っていて、今は知らない人が多いけど、だんだん知れ渡ってくれたらいいなぁと思う。

平成21年の7月、特許庁にトルティの商標登録を出願した。 慣れない書類で苦労したけど、受け付けてもらえた。
平成22年の4月に承認されてので、今後タコス鈴木のトルティーヤはトルティという簡単な名称にしようと思う。 
★なんでタコス鈴木
タコス鈴木という名前は平成18年の2月FM局でこだわりの手づくり食材について話して欲しいという依頼があって、エド山口さんと生放送で話しているとき、そんなにタコスにこだわるなら「タコス鈴木」にしなさいよって言われたのがきっかけ。

ちょうど粉から簡単にタコスの皮が作れるキットを企画していて、それならと「タコス鈴木の手づくりノート」という商品名にも使わせてもらったわけです。

渋谷の東急ハンズで試食販売をしたときも、タコス鈴木のポスターを作ってもらったので、それを見て若い女の子たちが「タコス鈴木だって」とニヤニヤしながら、一緒に写メを撮らせてと言われたりしたので、けっこう親しみやすい名前なのかなぁ思ったりしました。

銀座でのエド山口さんのライブに行ったときのこと。 はじめの挨拶で「タコス鈴木さんが来てくれてまして」と紹介されて、続いて「この名前は私が命名しまして、今まで真剣に考えて付けた名前はたいていうまくいかず、いい加減に付けた名前は成功しているから大丈夫です」と。

ヘンな太鼓判を押されたこともあって、タコス鈴木を名乗っています。 トルティを販売するにあたってトルティ鈴木の名前も浮かんだのですが、トルティに具材を入れて食べればタコスという総称になるので、やっぱりそのままでいいやとなったわけです。
     
     

トルティの開発の話とトルティの今                  タコス鈴木

平成3年に奥沢にメキシコ料理店をオープンして、当初からとうもろこしにこだわって、皮を手づくりしていました。 人通りが少ない場所の隠れ家的な店で、メキシコから来てもらったルイスというシェフと手づくりにこだわったメキシコの料理を出していました。 調度品はメキシコから輸入して、内装外装は自分でデザインして作ってもらったので、ひとつひとつにたいへん愛着があります。 店名はエル・パソと名付けました。 
   
メキシコからとうもろこしの粉を輸入したり、乾燥した粒を煮込んですりつぶしたりして生地を作り、それを練って丸めて延ばす作業を一枚一枚手づくりしていました。
 
そのうち材料もすべて国内で調達し、それに合わせた独自な製法を考え生地を作るようになりました。  でも、このとうもろこしの皮は丸く延ばした生地をそのまま冷凍して焼くというもので、香ばしくて美味しいのですが、焼き上がりに時間がかかり、生をかためただけなのですぐ壊れてしまうので、たいへん扱いにくいものでした。 

「エル・パソ」ではこの生から焼く皮が評判で、新聞や雑誌に取り上げられることも多くありましたが12年ほどで役目を終えて閉店し、その後は一般に広く食べてもらえる皮をめざして、皮作りの開発にいそしみながら、スポット的にいろいろな場所でタコスの店舗を構えました。 代官山アドレス、川崎ラゾーナ、奥沢駅前と移りながら、スーパー、レストランなどへタコスの皮を卸し、一方では粉から作る手づくりのタコスノートを発売し、東急ハンズ、紀ノ国屋、新宿高島屋などで試食販売を行いました。
   
今でも一部のスーパー、レストラン、カフェで扱ってもらっていますが、味は良いけれど焼きにくく手間がかかってたいへんだろうと思っていました。 もっと簡単な皮ができないだろうかといつも考えていました。

平成19年にたまたまテレビのニュースでおからが産業廃棄物としてトラックで運ばれていく場面を目の当たりにして、食物繊維を始め体によい成分が多く含まれているのにもったいないと強く思ったわけです。

その後貴重な国産大豆から出来たおからも輸入品と同じに粗末に扱われているのを知って、おからを入れてみんなが巻いて食べられるソフトな皮を作ってみたいと思いました。
今までの経験を生かせば出来るはずと確信はしていましが、何度も何度も作り直しで、時間があれば皮作りをしていました。 何が難しいかって言うと、おから臭さとパサつき感を取ることでした。

もちろん、他のおからが使われている商品のように数パーセントであれば、まったく問題ないのですが、半分以上は入れたいと考えていたので、これがネックでした。 それでないと意味がないとずっと考えていたからです。

平成20年の夏には手づくりのおからのトルティがある程度納得がゆく出来になりました。 予想以上にいろいろな食材に合わせやすい食べやすい皮になったこと、とうもろこしの皮よりかなり堅くなりにくいことなど良い面がわかりました。

トルティの完成度を高めていく一方で、どうしても手づくりでは数が僅かしかできないことが問題になりますので、広く食べてもらうためには機械化が欠かせません。 ネットでメキシコのトルティーヤマシンを探し始めました。 

ようやくおからのトルティを量産できそうな機械を見つけましたが、メーカーとの度重なるメールのやりとりの結果、実際に材料を持って工場に行き、試してみるしかないと思ったわけです。  これも賭ですが、エイヤーっと単身メキシコに行くことにしました。 これは年が明けた平成21年の1月です。 原料のおからを乾燥させて、山ほどトランクに詰めてメキシコシティに乗り込みました。

案の定空港の税関で開けられて、たいへんな苦労をしましたが、しどろもどろの英語とスペイン語で何とか切り抜け、今度は工場のあるサンルイスポトシに行く国内線のチェックでも引っかかり、それでも没収されずに飛行機に乗れましたが、原料の持ち込みの大変さを痛感したわけです。

工場で早速、おからととうもろこしを混ぜ合わせて生地を作り、機械に入れて回し始めました。 これがまったく機能しませんでした。 工場の人が工場にあったとうもろこしの粉を加えていって、必死に格闘した結果、何とかトルティーヤが出来上がりました。 その時にはおからの含有量がかなり少なくなっていました。 工場の人からはおからをやめて、メキシコからとうもろこしの粉を買えば簡単だよと言われてしまいました。

実はこの時、時間があれば何とかなるのではという感触はあったのです。 もちろん確信ではないのですが、機械を輸入する方が先で手に入れば開発は可能だろうと判断しました。 購入の段取りをして帰国し、3月始めには注文して6月末には機械は東京に到着しました。 

神奈川県相模原の「おかべや」という国産大豆にこだわった豆腐工房の社長がたいへん関心を持ってくれて、この皮を一緒に製造、販売することになっていたので、良質のおからはここからふんだんに提供され、原料については心配がなかったのですが、機械は問題が多くありました。  日本とメキシコの品質における考え方がまったく違うので、日本では考えられないことが起こるわけです。
おからが入ったことでさらに難しくなっているので、部品を取り替えたり、作り替えたりと機械の改良を重ね、丸く切り分けられ焼けて出てくるようになるまで4ヶ月要しました。 その時点でもおからの影響で丸くならず、楕円になることが続き、安定しませんでした。 12月にやっときれいな丸ができ、完全に商品としての皮ができました。機械の改良については相模原の人脈で鉄工所を動かした「おかべや」の影山社長の力に寄るところも多かったと思います。 

すでに11月からはトルティの販売のため動き始めました。 パシフィコ横浜、東京ビックサイトでの試食、浜松町フードサービスバイヤーズ商談会などに出て、おから入りということでかなり関心を持たれました。 また女子大で試食会を行い貴重な意見をもらったり、メタボ対策の講演会での料理教室にトルティを提供して、良さを理解してもらったりとかなり積極的に広報につとめていました。 スーパー・ナショナル田園や麻布でも試食販売を行いました。

おからが50%も入っているのでとってもヘルシー、食物繊維は豊富でトルティ一枚がレタス1個分にあたり、尾籠な話で恐縮ですがお通じもばっちりです。 何気なく食べているクッキーでも一枚(10g) 50Kcalですから、トルティの一枚47Kcalは食べ応えから、満腹度からいっても画期的と思います。 

温めるだけで簡単!中の具材は幅広く好きなものを入れて美味しく食べられますので、とても便利です。 保存は冷凍も利くので長い間保存も可能で無駄にならず、何を食べて良いかと困ったときにも最適な食材です。 常に冷蔵庫にあればこれほど便利なものはないと思います。 このトルティがどこのレストラン、カフェなどで食べることができたり、家庭でもいつも冷蔵庫に置いてあるよというように広まってくれれば、嬉しいと思っています。

平成22年になって、東京ミッドタウンのレストランがトルティをタコスの皮として採用してくれたので、テスト的に販売することになりました。 ランチに使われ、今までにない皮でおからが入っていることもあって、女性の客さんに人気で安定した量が出始めました。 

問題は製造量が限られていることでした。 「おかべや」パン工房の一角を借りて作っていたのですが、パン工房も忙しくなりトルティ製造に充てる時間が少なくなったからです。 どこか安定して作れる場所を探さなくてはと考えるようになりました。

平成22年終わり頃、新潟の胎内市の製麺工場から新潟産コシヒカリを使った商品が出来ないかという依頼があって、それならと得意なトルティーヤを米粉で作ることにしました。 正月を返上しての開発はけっこうたいへんでしたが、トルティのノウハウがあるのでうまく米粉に生かすことに成功しました。 

何度も手づくりで米粉のトルティーヤを作り、試食を繰り返し、味が決まったところで機械での生産テストに入り、また機械にマッチするレシピを工夫して、やっと完成したのが平成23年2月でした。 新潟での試食もたいへん評判が良く、製麺工場で生産するということなので、トルティーヤマシンを新潟に移し、トルティ及び米粉トルティを作ってもらうことにしました。

6月までは頻繁に新潟に通い、製造の指導をして、トルティの製造が問題なくできるようにスタッフと必死に取り組みました。 見たこともない機械で知らない商品を製造するわけで、皆たいへんだろうと思います。
 
「ぐるなび」に協力してもらって、9月中旬、品川プリンスホテルでのレストラン向けの試食販売イベントに向けて準備中です。 安定して量産できれば多くの人に日本生まれの国産のトルティを食べてもらえると張り切っています。